信用できる人は、どのくらいいますか

突然だか、今現在、あなたには一体どのくらい信用できる友人がいるだろうか。

唐突になんなのさ…、という感じかもしれないが、これ、年齢的なものなんだろうか。私にとって心底信用できる人と、全くもって信用ならない人というものがはっきりしてきたように思える。

人物像含め、対外的なあらゆる事象に対して「判断を下す」こと自体、単なる自身の煩悩であり、それ自体が本質的な部分に対する色眼鏡になり、見えるものを見えなくするフィルタになるのには違いないのだが。

眼鏡をかけると真実は見えなくなるかもしれないが、眼鏡がなければ現実は見えない。

では、どんな人が信用できるのか、あくまで個人的な意見として書いてみる。信用できない人はこの逆ね。

口がかたい人

これは当然かなと。口がかたいというのは、単に寡黙でなければならない、ということではない。また、他人から聞いたことを全部秘密にしなければならない、ということでもない。当人のことを考えて、言いふらして良いことと、言いふらすべきではないことの良し悪しの判断が適切に行える人、つまりリテラシーの高い人のことを「口がかたい人」だと言うのだと思っている。

あなたの周りにも、こんな人いませんか?その人に何かを伝えると、その翌日には数名にその話が流れる結果になる、という人。これまで私の働いてきた会社の中にも何人かそんな人が思いつくわけだが、私はそういう人をバイラルマーケターだと思い込むようにしていて、あえて嘘を伝えて楽しんだりしてる。

あと単なる偏見ですが、バイラルマーケターな人は、自分の批判的な噂が流れることを非常に恐れるものです。なので三国志的な例えをすれば、知力が低いため流言飛語で疑心暗鬼に陥りやすく、結果として引き抜きやすい。駆虎呑狼の計とか二虎競食の計にもかかりやすいに違いない。

肯定的でもあり、批判的でもある人

肯定的なだけの人は、単なるおべんちゃら使いであって、前述のバイラルマーケターな場合もある。多分に偏見にまみれているが、私の経験則でいえば「おっしゃる通り」というキーワードが口癖の奴の98%はおべんちゃら野郎かつバイラルマーケターだ。肯定的かつ否定的な人は、単に好き嫌いが激しいだけで、思考に深みがない人かもしれない。つまり「軽い」のだ。思慮深くない人は、悪気もなく口が軽い。悪気がないことを責めてはならないが、悪気がなく口が軽い人は、結果として信用するに至らぬ。

一方、肯定的であって批判的な人は、ちゃんと相手と向き合おう、と考えている人である。相手のことを考えている人なのだ。そういった人はリテラシーは高く、言いふらして良いことと悪いことの区別くらいは当然についている。また、批判する以上は自分なりの意見、思考、信念を持っているわけで、双方本質に向き合うことを前提として話をしている人でもある。自分は、こんな人になりたいし、こんな人でありたいなあとは思う。

信用できない人との向き合い方

ここまで書いておいて、じゃあ信用できない相手とはどのように向き合うべきなのか。結論からしたら、そんな人とは向き合わなくて良いんじゃないかと思います、私は。付き合ってはあげるが、向き合ってはあげなくて良い。大事なことを話すべきではないが、くだらないことを話す相手としては最適かもしれない。

あとそういった人はバイラルマーケターとして、ブロードキャスターとしての能力は高いかもしれない。ゆえに肯定的なこと、建設的なことをふれまわってもらう対象としては最適だと思う。でもネガティヴな言葉もブロードキャストしまくる奴なので、そういうことには使っちゃダメね。自分の信用や評価を落とす結果につながりますし。

あなたも相手が信用するに足るかを考えて、人との付き合い方、向き合い方を考えてみませんか?

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