新撰組慰霊碑

JR板橋駅(埼京線)の東口側に出たら、新撰組慰霊碑がありました。

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新撰組組長の近藤勇は鳥羽伏見の戦いに敗れた後、江戸に戻り、流山で官軍に捕まります。慶応4年(1868)、平尾一里塚(現在の東京都北区滝野川)で斬首され、首級は京都に送られ三条河原で三日間さらされたそうです。享年35歳という若さでした。

近藤勇の胴体はというと、諸説あり、実際どこにいったか定かではないようです。宮川勇五郎が試衛館世話役・寺尾安次郎、宮川信吉の従兄弟宮川弥七とともに近藤勇の胴体を掘り起こし、近藤家の菩提寺である三鷹の龍源寺に改葬したとも言われておりますが、改装せずにこの新撰組慰霊碑に葬られているのかもしれません。

一方、首級はというと、三条河原に晒された後、何者かに持ちされれ行方知れずになった、と言われています。愛知県岡崎市本宿寺山にある法蔵寺に運ばれ埋葬された、という説もあるそうです。

処刑されてしまったとはいえ、胴体と首が別々の場所に埋葬されているなんて、なんだか浮かばれないなあ、と思ったりもします。当時はそういったことが多かったのでしょうが・・・。