声と気迫の因果率

 新しいことを色々と始めている関係で、「初めまして」を使う機会が非常に多くなっている。今日もまた「初めまして」を何度言ったことか。いや、今日のは仕事じゃなくプライベートだけど。

 名前を覚えるのは苦手ではない。名前、顔、それプラス「キーワード」。キーワードというよりは、ニックネームに近いかもしれない。風貌・雰囲気・しゃべり方etc…そういったもので会った人をイメージづけておくと、名前を早く覚えることが出来る。名前にイメージをもたせる感覚かもしれない。

 同時に、自分もなんらかのイメージをもたれているんだろうな、と思う。

 まあ初めて会う人には良いイメージをもってほしいが、私に足りないなあと自分で思うのは「気迫」。鬼気迫るような「気」に満ちていない。自分でそう思うのだから、きっと相手にもそれは伝わっていることだろう。なにせ私が気迫と自信と説得力に満ち溢れている瞬間は、”酔っ払ってカレーライスの話をしているとき”くらいなもんだ。酔っ払っていない普段は全く気迫に満ちていないから、いるんだかいないんだかわからないくらい印象も薄いんじゃないだろうか。

 なんてことを色々考えていたが、声の張りと気迫は大きく関係しているようにも思える。気迫溢れる人の声は、とても活きている。身体の内側から溢れる活力を伴った、身体の内側から発せられる声。その声ははっきりと、心に響く声だ。

 こんなことでも意識することで、自分自身を変えられるように思う。細かい部分での正しい意識、意識から無意識に変わったとき、初めて「習得した」「変わった」といえるんだろう。意識することが絶対的な基本であり、人は意識的に、自ら意識したほうに変わっていくことができる。

 改めて、私も常日頃から、はっきりした声で挨拶やお礼、意思表示をするように心がけたい(意識したい)。