私はスピリチュアルというやつが好きじゃない。好きじゃない部分はたくさんあって、まず響きからして嫌だ。特に「チュアル」の部分。論理的根拠?んなもんはない。気持ち悪い響きなだけ。そう、子供みたいな理由。
あと太ったおっさん(歌とか出している人)はまだ人を否定しないぶんそれ系の人たちの中ではまあマシだけれど、彼の言うところの「霊視」って何が見えるんだろうね。きっと見えちゃいけないものが見えちゃってるんだろうね。夜中の体育倉庫でバスケットボールを弾ませてるピエロとかさ。でも言葉の売り方とか、マーケティングの才は大いにあると思うし、本も面白いからベストセラーになるんだろうね。その点、読んだことないから否定できないだけ。
「あんた死ぬわよ」とかいってるばあさんも、お金儲ける天才だよなぁ、とか思うけれど、儲け方がちょっとひどい。あれはダメだ。人の気持ちを不安にさせてお金をぶんどってるようにしか見えない。それってどんだけ免罪符なのさ、と。あ、免罪符っていう言葉は適当じゃないんだって。正しくは「贖宥状(しょくゆうじょう)」なんだって。一気に語呂が悪くなったね。とにかくあのおばさんはひどい。ちょっとは自らの行動を振り返って欲しい。
前置きが長くなったけれど、そんなスピリチュアルなんてのとは別に、見えない「縁」ってのはきっと存在するんだろうな、と思う。そりゃ論理的に言ったら「偶然という可能性は云々かんぬんにんともかんとも」ってやつなんだろうけれど、なんでも理屈で片付くんだったらその理屈で宇宙の存在意義とやらを教えてもらいたいものです。
偶然、奇遇、縁を感じた瞬間はたくさんあるんだけれど今思いつくものだけで、
- 数千件のバンドメンバー募集記事から選んで連絡したバンドが高校の同級生のバンドだった
- バンドメンバーの募集記事を出したら連絡があったのが友人からだった
- 転職先のフロアの一階下の階で前の会社の先輩が働いていた
- 転職先のビルで高校の同級生が働いていた
- 好きなバンドのボーカルと教習所が一緒だったのでデビュー秘話が聞けた
- しょっちゅう色々な駅で知り合いに会う
あとは仕事については狭い業界なので、そりゃ共通ネタばかりなのです。お客さんが共通だったとか、昔お客さんだったとか、その逆とか、もうグチャグチャだし、仕事以外でも共通の何かを辿っていくとどこかで重なっていることはよくあること。
東京にはたくさん人がいるはずなんだけれど、私の中では東京にはたくさんの人はいないみたい。人と人とをつむぐ縁はきっと誰にでもあるもので、その縁はたくさん絡み合って、複雑になっていて、なかなか気づきにくく、また見えにくいだけなのでしょう。
この狭い東京で、明日、どこかで、今まで会ったことのある誰かに会う可能性って、いったいどれほどのものなんだろう。その可能性は1%かもしれないし、100%かもしれない。
ただ一ついえることは、0%じゃないってこと。