インターネット上に展開する音楽レーベルを運営してた、という昔話

若かりしころの思い出を書いてみようと思う。

そう、某巨大掲示板があまり巨大じゃなかった頃で、自分のグローバルIPを知るためにアクセスするあのサイトがまだアングラなサイトとして情報提供を行っていた頃。人々はやたらと串やらクッキー食べ残し注意やらを気にしていた頃で、テレホーダイが輝いていた頃。ネットの海に日本海溝があったころ。サーフィンとか言ってた頃。

僕は思いつきでインターネットを中心に活動するネットレーベルを立ち上げた。
※若気の至り

素敵なウェブサイトをホームページビルダーで作成し(これも以後も基本的に殆ど笑うところ)、ウェブリングに参加し、アクセス向上のために複数掲示板で所属アーティストの募集をかけ、ICQでI SEEK YOUしたりもした結果、日本全国からいくつかのデモテープやらデモMDやらが届いた。

恐れを知らない僕はレーベル代表を名乗り、本物のインディーズレーベルの代表の方とネット上での音楽展開についてメールで意見交換したり、届いたデモテープに対して「うん、まあいいんだけど歌がちょっとやばいよね」とか「バンド名がダメ」とか、まあとにかく偉そうだったと思う。単なるガキなのに。

で、選定した結果として数組のアーチストを集めた。当時はCD-Rすら希少というか高価だったので、所属アーチryのデモ音源からハムノイズやらヒスノイズやらを取り除いたり波形編集なんちゃらしたあげくCD-Rに焼いてあげたりした。いやお金もらって焼いてた。んでネットで販売するわけです。ちなみに視聴はRealPlayerでできるのよ。Y!のインデックスに登録されただけで歓喜してた。確かにアクセス数は急増したけれど。

そういえば1人だけ、うちで焼いたCD-Rをデモとして配って徳間ジャパンのレーベルからリリースした人もいたけど、あの人元気かなあ。

当時は楽天なんちゃらも祐天寺にある小さい会社でしかなかったし、ネットでモノを買うなんてのが一般的じゃなかったけれど、普通にCDが売れてたのが今思えば不思議だと思うのと同時に、ああ、あれが僕の初めての起業だったんだな、と思う。

若いってのは恐れを知らない。素晴らしいことだ。

でもまあ儲かるほどでもなかった。そもそもCD焼くのとCDのレーベル面印刷するのが超めんどい。

その後レーベルはどうしたかというと、全国のCD-Rドライブ保持者を生産工場とすることで生産力を倍増する計画を実行しようとしつつも、自分自身のバンドに打ち込むのが楽しくなってしまい代表でありながら放置。悪名高き光○信(笑うところ)のレンタルサーバ@月1万円を解約し、希少だった独自ドメインともさよならした。閉鎖です。

そうそう、光通○のレンタルサーバは契約するときにラウンダーの女性営業がわざわざ来た。そういう営業ルールになってるとかなんとかで。実家に住んでたから実家の部屋にね。そこで契約ですよ。あれは今思えばすごいことですよ。

あ、それともうひとつ。レーベルやめるときに所属してた人に「やめるよー」て伝えずに閉鎖しちゃった。みなさん、ごめんなさいね。

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3 好企画であるが、内容は浅い
5 卒業アルバムを見かえすような…
1 この人たち、ダレ。
3 データベース的な価値としてならok
3 死に様を集めるということ