大田市場で少しだけ働いていた頃の話

もう何十年も前の話だが、大田市場の魚市場で2週間だけ働いていたことがある。

その理由は至極単純で、森田誠吾の直木賞受賞作「魚河岸ものがたり」を読んで感銘を受け、魚市場で働きたくなったからだ。

そんなバカな話があるものか、という話だがこれがまた事実なのだ。当時は今に増して自由人であり、思い立ったら即行動→玉砕を繰り返して学びを得るという、「考える前に飛べ」を意識的にしっかり実践できていた。今は過去に比べると身体も重ければ責任も重いということで、考える前に飛べないのだけれども。

今はどうかは知らないが、当時の大田市場は生花市場でもあり魚市場は小さかった。それでも仲卸業者がたくさんおり、私もその一員として働かせてもらった。

働かせてもらった、といっても見習いなので何ができるというものでは無いのだが、あの市場でよく見かける乗り物(ターレーという)で商品の運搬なども行ったりした。

ところで、ターレーの運転をしたことがある方って少ないんじゃないだろうか。

ターレーは小型特殊自動車に分類されるため、実は普通免許を持っていれば誰でも運転ができる。操作系はギアが前進・中立・後進のみで、丸いハンドルの真ん中に丸い板があり、それがアクセルになっていた。ブレーキがあったかは忘れたが、無いはずがない。操作性は悪くはないが後進が難しく、駐車が難しかった。

朝2時起き、午後1時半くらいには仕事が終わるというスケジュールであった。眠かった。糀谷の一軒家が従業員のシェアハウスになっていて、私もそこに住み込んだ。

上司的な人物はロン毛の若いお兄さんで、よく面倒を見てくれた。同僚は二人いて、うち一人はとても優しい中国人だった。名前は忘れたが、中国北東部の出身で、華北と袁紹について会話したのだけ覚えている。私の前任は居眠り運転による交通事故で亡くなったと聞いた。優しい中国人からは、お金をたくさん借りていたらしい。

真鯛かなにかの鱗取りなんかもやったが、あれ以来魚の鱗取りはやったことがない。他にはマイナス30度の冷蔵庫に売れ残り品を搬送したりもした。寒さよりも痛さのほうが強かった。

簿記が得意な私は記帳を担当していたが、原価と卸値の差をみて仲卸って超ぼったくり商売だなと感じた。いつか商売をやるのならば、仲卸なんていうなんの付加価値も提供しないぼったくり商売ではなく、直販をやりたいと思った。今もそう思っている。

結局「眠い」とかいう軟弱な理由で辞めたのだけれど、超短期ながら良い経験をさせてもらえたと思っている。

ちなみにその数年後にIT業界で働くわけだけれど、そこでお世話になった先輩には元魚市場の仲卸を本格的にやっていた人がいて、私が働いていた会社に共通の知り合いがいた。共通の知り合いとは、ロン毛のお兄さんのことだが、名前は忘れた。世の中は狭い。

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