いわずもがな、かのクイーンのフレディ・マーキュリーの生涯を題材にした伝記映画である。2018年12月末の時点で、日本国内での動員数は500万人、興行収入は70億円を突破したとのことで、大ヒットとなった。
かつてのクイーンのファンが繰り返し観たというだけでは、500万人の動員を見込むことは難しいと想定される。クイーンのファンやフレディのファン、ブライアンのファン、クイーンを知らない世代、映画好き等々、本当に様々な人々がこの映画を観たことには違いなく、そしてその評価も非常に高いものとなっている。
思うに、アーティストの伝記映画はむずかしい。アーティスト自身へのリスペクトが足りない作品であればそれだけで叩かれるし、事実から逸れているだけでも叩かれる。かといって忠実なだけで面白い映画になるかというとそういうものでもないだろう。
では、人々の心を打つことができ、アーティストへのリスペクトを忘れない伝記映画を創るためには、どうすれば良いのだろうか。その答えに至る要素は一つではないにしても、この作品にはそれらが多分に含まれている。
純粋に音楽で魅了する
この作品では(基本的には)フレディ本人の音源が使用されている。クイーンの曲は、フレディの歌唱力は、他の誰のものでもなく、そしてどこにもないものである。彼らの曲は本当にロックで、かっこよくて、純粋に人の心を打つものなのだ。それはイントロだけで、聴く側の鳥肌を立てることができるアーティストはどれだけいるのかという話にも共通する。”We Will Rock You”の冒頭のバスとクラップもそうだし、”We Are the Champions”や”Bohemian Rhapsody”のピアノの旋律なんかもそうだ。そしてフレディそのものの歌唱力。美しく、優しく語りかけるようにも歌うことができるし、力強く訴えるようにも歌える。
つまり映画の内容以前に、まず題材であるクイーン、そしてフレディ・マーキュリーそのものが大変魅力的なアーティストであるので、その時点で殆ど成功だったのだろう。
一体感を共有する
良い映画とは、観客が作中に引き込まれる映画に違いないが、作中にもあるように、フレディはオーディエンスとの一体感を作る天才だった。本作にもその要素が活かされていて、クイーンのサクセスストーリーを味わいながらも、ひとりのオーディエンスとしてクイーンのライブに参加している気分にもなれる。
外面(成功)と内面(苦悩)を描く
インサイドアウト、アウトサイドイン。クイーンとしてのサクセスストーリーに加え、フレディのマイノリティとしての苦悩を美談にせずに純粋に描いている。もはやロック史のレジェンドであるフレディ・マーキュリーという人物が、同時にひとりの人間であり、様々な苦悩を抱えていたのだということをよく表現している。このあたりは実に伝記的だなとの印象。
フレディ・マーキュリーとカート・コバーン
結局この映画は、クイーンの曲が、フレディの歌がかっこいいということに尽きる。
そして、わたくし自他共に認めるNIRVANAの大ファンというかマニアなわけですが、かつてKurtの生涯をテーマにした作品が数本映画になっていても、こういう形で成功はしていない(比較対象として適切かどうかは別の話だ)。
それは映画としての描き方が悪いとかいう話もあるのかもしれないけれど、ひとりのアーティストとしてやりきったフレディと、自らその人生を終えてしまったKurtとの大きな違いもあると思う。
フレディは晩年には他者から共感を得られても、Kurtは彼の遺書にもあるように、最後まで誰かから共感を得ることができなかった。Courtneyからは突き放されたと感じていた。孤独だったのだろう。Kurtの生涯は、映画として良い終わりを描くことがむずかしいのだ。
もちろんKurtは映画になんかされたくないだろうけれどね。
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