
続日本100名城を巡る旅、19城目。
八代市は球磨川の下流に位置する。八代城はかつては球磨川北岸にあったようだ。その当時の築城主は、かの小西行長である。
小西行長の築いた八代城(麦島)は、江戸期、元和の大地震にて崩落し、加藤正方によって、現在の場所(松江)に新たに築かれた。
ここで重要なのは、肥後国には熊本城があるということである。江戸期に入り、江戸幕府は一国一城令を発令する。律令国としての肥後には熊本城があり、本来ならば二つの城は築くことは許されない。
だがこの一国一城令とは律令国に基づいたものではなく、一つの国に複数の大名による勢力地があった場合は、例外的に取り扱われることも多かった。肥後はまさにそれで、熊本城の細川氏、八代城の加藤氏というわけだ。
江戸期に入って新たに築城された八代城は大小の天守を備えていたが、御多分に洩れず、落雷によって消失し、その後、天守が再建されることはなかった。
現在はといえば、内部は神社と公園である。大小の天守が築かれた場所には、武者走りがみられるが、通行禁止となっていて、登ることはできない。写真を撮るにしても城内はもはや神社なので、外から撮るしかない。