「心底どうでもいい」と思う勇気

誰が、というわけでもないが、特におっさん、おばさんの歳の人には他人に余計なお世話を焼きたがる人が多いように思える。

余計なお世話、つまりお節介のことだが、これは相手が望んでもいないところで勝手な解釈をして、勝手に決めつけ、勝手に答えを出すという一連のパターンのことだ。

直近の事例として。私はここ2年で3回ほど転職しているのでツッコミどころが満載のようで、よく前述の余計なお世話をありがたくいただくことがある。ショート・タームで転職をしている当人の目的などは当然理解しないまま、実に勝手な思い込みをぶつけていただけるのだ。ありがたいことです。だが余計なお世話だ。

このような「余計なお世話」は、恐らく自己と他者の限りなく無駄な比較からやってくるのではないだろうか。他者と自分とを比べても何も意味がなく、何も解決はしないと頭では分かりつつも、本能的に比較してしまって、その結果が余計なお世話になるのではないだろうかねエーミールくん。「そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだな」と。

どこかで勝手な思い込みによる優越感に浸りたいんだろう。たぶん自分もどこかで同じことをしている…ので、その対処法を授けようでなはないか。

それは、他人が何をやっていようと「心底どうでも良い」と思う勇気を持つことだ。「えっやべぇッ!ぶっちゃけマジでどうでもいい」ってな具合だ。だってさあ、どうで良くないですかァ?他人がどんな人生歩んでいようが自分には。

なお他人に興味を持つな、という意味ではない。どうでもいいことにいちいち干渉して勝手に疲れるのをやめよう、ということなんだ。

心底マジでどうでもいい。そう思えるようになりましょう!

そしてこれもまた余計なお世話である。

コメントを残す