企業においては「年間アワード」のようなものを制定している企業がある。それは、年間を通して好実績を出した営業やらその支援に携わった人に贈られるものであったり、社内のコミュニケーションを円滑にしたという結果に対して送られるものであったりと各社色々だけれど、どれも「会社にいい風を吹き込んだ(なんらかの形で会社に利益をもたらした)人材」に贈られるものであることには違いない。
ちょいと偉そうに「かつてのベンチャー経営者」として言わせてもらえば、この制度自体は悪くない。言い方は悪いが、社員のモチベーションを高めるためにエサを用意する。エサにつられて社員は競い、頑張る。結果として、業績は向上する。それだけ聞いたら理想的だし、まあいいんじゃない?
但し、このエサは「誰が見ても美味しいモノ」であり、また「誰もがエサにありつける可能性がある」という風に機会を平等に与えなければならない。この原理原則が伴わないものであるならば、それは負の制度であり、会社に害を与える(モチベーションを下げ、業績を悪化させる)ものでしかない。
この機会平等ってやつが、意外と難しいんだろうね。誰かが笑うとき、その笑いの影では誰かが泣いているかもしれない。例えば実力のある人材に対して毎年エサを与え続けることは、部分最適であっても全体最適にならない、と(といっても自分のことではなく、とある人物についての考えでございます)。実力のある人材は、なにをしたってそれなりにやり抜くんだから、それよりは今は実力がなくても、今後何らかの利益を企業にもたらす可能性を秘めている人材に対して与えたほうが企業にとっては得策である、と。そんな企業判断はわからなくもない。でもその企業判断はわからない。
どっちなんだって話だけど、どっちもなんだよね。
最近、この「どっちも」「どちらでも」ということが世の中多過ぎるように見えてしまうのは、ひょっとしたら視野が広がったからなのか、情報過多な時代の影響(というふうに何かのせいにしている)からなのか、自分の単なる優柔不断な部分からきているものなのかわからないが、世の中を形成するためのルールは、なかなか決めうちにできない。でも、だからこそ楽しくもある。
まあ前文とぜんぜん関連性がなくなってきたけれど、本当に自分が選びたいのはどっちで、本当に自分がやりぬきたいのは何なんだろう。というのが直近の疑問であり、考えていることでもあるわけです。