なにか大きな出来事があったわけでもないけれど、プライベートな面において最近色々なこと、本当に様々なことが契機を迎えているように思う。そしてそんな中、凡そ4年弱ほどになるのかな、可能な限り沈黙を守り続け、そして自分の中でも若干「無かったこと」にしている「ある事柄」について、そろそろ見直す時期に来ているんじゃないだろうか、と、ふと思う「出来事」があった。
その「出来事」についてはここでは触れずに、私が沈黙を守り続けている「ある事柄」について今後しばらくの間、見直し、ブログにまとめてみようと思う。
それは私の人生において重要な転機のひとつであった事柄、「起業」と「廃業」にまつわることなんだ。
これまで見直しをかけなかった理由
過去を思い出すことはよくあることであるし、飲みの席で軽くその件に触れたり、誰かに聞かれて答える、なんてことはあったので、厳密に言えば沈黙を守るなんて格好いい状態じゃない。けれど、あまり進んで話したくないし、また考えたくない事柄であったのは事実。汚点とまではいかずとも負け戦でもあり、決して人様に誇れるようなことではなかったからそもそも誰かに話したくもなかったし(だから元社長だなんて履歴書にも書かなかった・・・あ、これは経歴詐称かな)、廃業後はトランスナショナル企業としてそれなりに成長を続けている某社の従業員へとサラリーマン成りしたという経緯もあり、過去を振り返るよりは最低でも当面3年間以上はしっかりと Employee としての勤めに徹し、この会社の仕事をやり抜いて、入社した大きな理由の一つであった「グローバル経営のHow to」や「組織論」を学びたい(盗みたい)と考えていたという理由がある。それが学べたかどうかは別として、ね。
他にもこの企業で学びたいことがたくさんあったから(一人の人間として非常に興味深い創業者を抱える企業なのです)、あえて過去を振り返る余裕がなかった、なんてのも理由。
ここまではこれで良かったと思っていて、全く後悔したことはない。そして、今から過去を振り返って分析してみても全然遅くないと考えている。いやむしろ、今は過去を振り返って分析したい、もっと言えば分析しなければ「次のステップはない」という気持ちで一杯になっている。
すでに1点ビハインドで前半戦が終了して、ハーフタイムがこの3年間で、ついさっき後半戦がキックオフした感じ。
それは焦燥感なのか、何なのか。
ああ、そうか、そんな風に思うだなんて、私の人生は案外短いのかもしれないなあ。
そもそも当時起業した理由を思い出してみる
当時、自分はなにゆえ起業したのかを思い出してみれば、そこにはたくさんの「想い」があったように思う。今考えてみれば、それらは誰か著名な経営者の伝記に書かれているような、決して素晴らしい「想い」や「志」と言えるようなものではない。けれど、それが自分を未知の領域に突き動かす原動力であったのは紛れもない事実。
今振り返ってみれば、私は私自身の様々な想いに、独りよがりに突き動かされていたんだ。
- 理由その1「自分の力を試したかったから」
当時ITベンチャーで働いていた頃の私の収入は、今の収入の約2倍程度にあたる。所得税と住民税がかなりのものだったから、最終的に倍増から激減した次の年の支払いがとんでもないことになったんだ。(税金は前年度の収入がベースになるので)
で、当時はといえば、まず月にxx万円づつ貯金、その他家賃などを差し引いても全然余る。余ったお金は基本的に衝動買いで消え(かといって車とか大きな買い物をしていたわけじゃないけれど、意味のないものばかり衝動買いしていた)、夜中まで飲み歩き、コストパフォーマンスが高いとはいえない「高くて美味しいもの」を食べ、意味もなく人に奢り、さして知識も得ないままデイトレをやりつつ中国株などにも手を出し(でも信用取引はやらなかった)、投信もやりつつ、外貨にも手を出してみたり。一時期プラスだったけれど、トータルではマイナス。
無茶苦茶な状態だった。誰かの成功談や、いわゆる「お金持ちになれる本」みたいのに流されまくり、それを実践してみるつもりが実際は損をしていて、まさにお金を持ったことがない人が持つとこうなるんですよ、を地で行くような、アホの典型例と化していた。「就職氷河期世代だけどバブル時代を味わったらこうなってしまったでござる」という自伝が書けるレベルだと思うから、いずれ書いてみることにする。
このような収入を得ていたその背景。これはそれなりの理由とカラクリで得られていたお金であって、自分の能力、実力がそっくりそのまま反映された収入であった、と言い切れるようなものではない。たくさんの運と機会に恵まれていたこと、それと多い収入分だけ他の人以上に過酷に働いていただけの話。24時間仕事をすれば、2倍もらえるのは当たり前(むしろ3倍働いているんだから少ない)。寝ていてもお金が入ってくるけれど、呼び出されたらオンサイト。そんな仕組みの上に、特技の社内調整とトップダウンと勤勉さを駆使し、私は同僚や先輩を蹴落として、強欲に強引に居座ることに成功した。
でも若い自分は勘違いした。この年齢でこれだけの収入を得ている自分の能力は、恐らく同年代の中でも比較的高いほうにあるに違いないよ、と。いや、むしろ年代に関わらず、自分は小さな勝ち組に違いない、と。
なんだ、金稼ぐのなんて簡単なことじゃないか。であれば誰の力にも頼らずに、会社の看板など背負わずに、自分自身の力だけで十分に稼いで生きていけるはずだ。世の中は、至極単純で、簡単だ。必死にならなくても、それなりの仕組みがあれば金なんて勝手に入ってくる。
そして、自分はそれを作ることができる実力を持っている。負けるはずがない。
冷静さを失い、実力と収入の乖離に気がつかない程の、自らの能力に対する過信。これが起業をした1つめの理由。
- 理由その2「こいつができるなら俺にもできるはず」
2つめの理由は1つめの理由と微妙にリンクしている。
ある日、私が働いていたITベンチャーS社(当時年商10億円程度のSIer)は、また別のITベンチャーE社(当時年商6億円程度、業務内容は後述)に買収された。小が大を飲み込む形。いや、非公開企業だったので、買収されたというのは正しくないかもしれない。S社の経営に疲れきったCEOが、下々には内密に唐突にE社に自社株を譲渡したのだ。
※そのあたり経緯・理由については諸説あるものの未だに真相が不明
ここからが問題で、このE社は2000年前後のITバブル期に創業されたITベンチャーで、その当時のITベンチャーらしい「キナ臭さ」を持っていた。さしてマネタイズできていなそうなWebサービスを事業の顔として前面に押し出し、他の事業展開はといえばアウトバウンド系のコールセンターや大手家電販売店へのスタッフ出し等。売上げ比率的には後者こそがこのE社の本業で、ITはおまけみたいなものなんだけれど、彼らにはITベンチャー色を前面に押し出す理由があった。
それは社長がいわゆる「学生起業家」あがりで、年齢も私の1つ下だったということ。買収元は、超若手起業家、というフレーズで売り出し中の男が社長だったんだ。
時はおりしもライブドア株が立て続けのM&Aとサプライズ、株式分割により暴騰していた頃で、サイバーエージェントの藤田さんの「渋谷で働く社長の告白」がバカ売れしていた時代。既に若手IT起業家が億万長者になるケースは珍しいものではなかったものの、やはりE社社長のはその年齢から、若手起業家として注目を集めていた・・・いやこれも正しく言えば間違いで、色々な仕掛けがあり、彼は「注目を集めている風」に仕立てられていた。数年後にIPOが控えていたから、キャピタルゲイン狙いのお歴々に祭り上げられていたんだと思う。
そんな超若手起業家のSさん。彼は人間としてはいいヤツだったけれど、自分はそれとは違う感情を抱いた。
「え、こんなアホヅラで一生懸命社長ぶっている胡散臭いヤツが社長だって?なら自分も社長になって成功するのは簡単だ」
(単なる傀儡かもしれないが)彼のように振舞いたいと願う野心と「こいつに出来て俺にできないはずがない」という過信からくる猛烈な闘争本能、競争心、嫉妬、疑念・・・。
こんなものに、こんな巡りあわせに、私は追い詰められた気がした。
- 理由その3「会社勤めが馬鹿馬鹿しくなった」
中間で搾取されるコストがあほらしく感じてしまったから。基本的には、企業体が大きくなればなるほどこの中間コストも大きくなる。案件規模とコスト部門の大きさが見合っているならまだしも、見合っていなかった。単純に、それが見合わない以上は最終的な見入り(収入)は減る。それが分からないジャブジャブ系な人が上のほうでたくさん働いていた。また具体的な方向性も示さず、下の人間に投げっぱなしジャーマンを食らわせながら、自分は悠々自適に暇そうに定時に帰る上司様。ああ、なぜにこの人たちは全体最適を考えられないのか。自分さえ良ければそれでいいのか。
「雁首そろえやがって。自分ならこんな組織は作らない。お前らの役は俺にも出来る。だから俺が体現してやる。」
旧態依然とした組織への不満。まるで反抗期の少年みたいな年上全般に対する不信感。自分なら出来るという過信。これは理由1とリンクしているかもしれない。
他にもたくさんの理由があったと思う。社会的信念とは程遠い「欲」が。
「自らを省みることを知らない、若さゆえの過信」
そんな風に言ってしまえばそれだけのこと。でも自分は、その自分の本質を持って、とにかく社会に挑んでみたい気持ちがあった。だから、
「思いつきで飛べばいいじゃん」
そんな軽い気持ちで、私は、目をつぶりながら飛んでみることにしたのだった。