人と人とをつなぐ「縁」というものが、時折不思議に思うものです。
あのときのあの人は、今どうしてるのかなあ。そんな思いは、僕が尋ねる場所を通じて、僕が食べるモノを通じて、匂い、空気、肌を刺す日差しの強さ、寒い夜の星の輝き、BGM、とかく様々な事象を通じて、ふと記憶を蘇らしたりする。普段は思い出しもしない出来事を、それこそ走馬灯のように。記憶力悪いと思ってたけど、なんだ、結構優秀じゃないか。そんな風に思えるくらいに。
きっかけを通して人は出会い、その縁は深く、それこそ苦楽を共にすることもあれば、顔を知ってはいるけれどそれこそ縁がない、そんな関係もある。
そして縁はいつか切れる日がくる。
東京なんて狭いからさ、まあまたどこかで会うだろうね。
そんな風に思いながらも全然会うこともなければ、縁があって、いや縁が残っていてなのかな、頻繁に出会う人だっている。
不思議だなあ。不思議だよ。
そんな想いが頭だか心だかに満ちた時に、この詩を僕は思い出すんだ。フレデリック・パールズという精神科医の詩で、「ゲシュタルトの祈り」と名付けられた、彼のゲシュタルト療法の思想を盛り込んだ詩。
I do my thing, you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectation.
And you are not in this world to live up to mine.
You are you and I am I.
And if by chance we find each other,
it’s beautiful.
If not, it can’t be helped.
by Pearls, F. L.
私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
あなたはあなた。私は私。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。
