レビュー:沙摩柯日記 – 三国志10プレイレポ part.3

ニートなのに家には引きこもらずに、ひたすら霊山巡りとやらを続けている活動的ニートとも言うべき沙摩柯さん。そろそろニートやめてもいいかと思ってるんだけど、ある意味働いたら負けかなとも思ってる次第で、ひたすら霊山巡りを続けている。

199年 劉備と義兄弟の契りを結ぶ

劉備という男がいる。紆余曲折あり今は袁紹配下になっている男だが、耳たぶが異様に長いことで有名だ。そんな彼には関羽と張飛という義兄弟がいるものの、関羽は一向に曹操配下を出奔して千里行して劉備のもとに馳せ参じる気配もなく、もう一人の義兄弟の張飛はといえば、どこで捕らえられたんだか分からないが、これまた曹操配下になっている。義兄弟は散り散り、耳たぶ男の袁家での居候生活もさぞかし辛いに違いない。

そんな劉備に同情した・・・わけでもないけれど、この劉備と義兄弟になることにした。となると必然的に義兄弟になる関羽と張飛。四兄弟。北斗的四兄弟の誕生である。「我ら生まれし時は違えども」「死する時は同日同時たらんことを願う!」とか言っちゃってる。それ桃園でも言ってたよね貴殿。そして沙摩柯は末っ子の座をGETしたのであった。

201年3月 涼州にてメジャーデビューを果たす

時勢をほとんど気にしていなかったら、いつの間にか馬のおっさんこと馬騰がチョベリバな状態になっている。(涼州武威郡、左上隅の国ね)

皇帝を抱え込み、第二次大戦後半のUSAのごとく快進撃を進める曹操軍にかなり追い詰められていて、馬騰はいつの間にか涼州に一国しか統治していない状態になっている。馬騰といえば筋肉騎馬軍団の頭領で、武力高めな武将が多い(気がする)。

その筋肉馬鹿改め猛者集団を創造したときに、ああ、そう考えてみれば、沙摩柯って実は馬騰配下にお似合いなんじゃないか?と思ってきた。

まだまだ能力は上げ足りないくらいだけれど、なんというか筋肉仲間が滅亡してしまうのは惜しい。そんな理由で馬騰に仕官したのが西暦201年3月のことであった。沙摩柯曰く「武芸にはいささか自信があります」で、馬騰からは「願ってもない話だ」と仕官を受け入れてもらった。まあ彼とは談話を繰り返して親密な関係になってたからね。これでインディーズでの活動を終えてメジャーデビュー。

201年8月 義兄弟集結す

そういえば耳たぶヤクザ(劉備)と義兄弟の契りを結んだんだった。これを悪用するしかない。ってことで、あいつらをかき集めることにした。

まず関羽。別名「げえっ関羽」。曹操配下でおとなしく劉備を想っているだけならまだしも、なぜか廬江の太守やってる。ずかずかと宮城に上がりこみ登用、即OK。凄いな義兄弟。相当な飛び地だが、廬江は馬騰の領地に。いつまで関羽一人で持つかなあ。

続いて張飛。こいつも曹操配下で、今は濮陽にいる。城の衛士は強行突破して楽々登用。

最後に長兄劉備も登用。沙摩柯みたいな第三者がいないと再会すら出来ない義兄弟たちの絆って、たいしたことないんじゃないの。

203年5月 また霊山巡りに勤しむ

あれですね、馬騰の配下とかやっていると能力を向上させている余裕などなく、ひたすら兵の補充や訓練を繰り返すという、ちょっとした蟹工船な日々が続いてですね、在野の士すなわちニート時代が懐かしく思うわけですよ。

馬騰勢力も沙摩柯のおかげで西平を奪還、あとは廬江と武威で3国の所領があるわけで、しばらく放置していても滅びることはないんじゃないかなあ。第一実際に沙摩柯が活躍したのってもう少し後の時代だし。

ということで成都に帰還して酒家で霊山巡りを請け負って巡り巡る日々を過ごす。霊山を巡った後で期限切れを待たなければならないので、その期間はちゃんと武威で兵を補充したり訓練したりして働く。なんとなく、パートタイマーな気分。

205年8月 こう着状態に陥る

馬騰、曹操、袁紹、孫策、劉表の5強が互いに睨み合い、すっかり戦争をしなくなってしまった。中原に平和が訪れたわけではなくて、微妙な兵力バランスを保ってるからどこの国も攻められない状態みたい。

この状況を打破したいなあと思い、馬騰に戦争を進言しても「その時ではない」などと断られる。この偽善者のフリした馬親父め!で、この状態を打破する方法は・・・そうか、あれだね、あれしかないよね。

あ、武力は98+2までいきました。もう育てなくて宜しいかと思う次第。未だに生きる道を模索しているが、今は馬騰配下の武官。

余談

先日拾った「ニートくんのものらしき羽扇」は、親密になるために誰かにあげた。つづく。

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