凡人と画家

銀座のはずれに、私がいつも仕事の合間、あるいは職場の代替手段として訪れているカフェがある。今もその場所にいる。

カフェといっても一種のアートスペースであり、アール・デコ調の外観、内観を持つ店内には、ゆったりとしたシャンソンが静かに響き渡り、その素晴らしい空間に、優雅な時間を創り出している。

このカフェの特色は外観、内観の他にもう一つある。それは一種の画廊であり、個展スペースとして活用されているところだ。作品は店内のいたるところに展示され、店を訪れる人々の目を愉しませる。

私はこれまで酔った勢いで「書に近いもの」を買った(そして家族には怒られた)ことはあったが、印刷物でもないオリジナルの「絵」を買ったことなどなかった。しかし、ある日このカフェを訪れた時に目にした作品には、何か不思議と惹かれてしまい、気がつけば画家に、その絵の購入可否を問い合わせていた。そして、私はその絵を一切の迷いなく購入した。

その絵はアクリル画で、一匹の着飾ったワニが書かれている肖像画のようなものである。筆で色をなすりつけるのではなく、細かく、不揃いな、アナログなドットで描かれている。筆で書くことで生じるアクリル絵の具特有の透明感を使わずに、あえて細かなドットで描くことで、その色の鮮やかさを強調している。この絵はその作者の類まれなる色彩感覚によって、場の雰囲気を一気に明るく変える力を持っているが、その光は太陽のように眩しいとものではなく、鮮やかであり、また暖かいものである。

この絵には「shibuya zoo」という副題があるが、そこに込められた想いとは何か。作者によれば次のようなものであった。

体が大きくても、お肉を毎日食べても、自分の弱さを隠せない。そんな自分を好きになれない。大好きな色をたくさん身につけて渋谷へ出かけてみる。今日こそ誰かが目をとめてくれるかも。

想いはアートという媒体を超え、それを受け取る者に対して、直接その耳元で囁きかける。私はそれを実感すると同時に、かつては表現者のような何者かを目指していた自分の感性は、まだ捨てたものではなかったんだと嬉しくなった。老齢になったら「謎の雄叫び老人ギタリスト」としてメジャーデビューするという夢が果たせるかもしれないし、今から画商になってもいいかもしれない、とさえ思える。それほどに、感性をもって人の想いと繋がるということは、素晴らしいことである。

その絵は今、事務所の壁面の一部を飾っている。私に見つかった彼は、私の少ない仲間の一人となったのだ。

ようこそ、ここへ。渋谷じゃないけど。