城攻め:首里城

首里は琉球王国の首都であり、琉球王の居城である。

歴史的価値が非常に高い城であることは間違いないが、城址としてはこれまた歴史的な背景から、他のグスクと比較してしまうと(あくまで城址としては)劣ってしまう部分もある。戦災と琉球大学の建設によって遺構の多くが破壊されてしまったからだ。どちらも熾烈を極めた沖縄戦の影響であると言えよう。

沖縄本島の南側は戦災の傷跡を未だ多く残しており、首里城もその一つであることを認識したうえで巡ってみると、また異なる見え方ができるかもしれないし、そうでもないかもしれない。

ダラダラと書いてしまったが、今の首里城はかつての首里城の姿ではではないこと、大半が綿密な研究調査の結果として往時の姿を復元したものであることを認識したうえで、巡るべきではないだろうか。

首里城の特色の一つとしては、日本風に言えば江戸末期の完成された切り込みハギになっている点である。加工のしやすい石灰岩を用いた結果なのだろう。調べてみると今帰仁城や勝連城で用いられていた石灰岩とはその質が異なるものらしい。それが石積みの違いとして現れているのかもしれない。琉球でも南方で採掘される琉球石灰岩は、より加工がしやすいものだそうだ。

門は双璧を持つ門とアーチ門とに分類される。双璧門のほうが技法として古く、アーチ門は新しい。時代の新旧を知ることができるポイントでもある。

正殿からは、琉球王国と中国との結びつきの強さを学ぶことができる。朝貢を行っていた経緯もあり、宗主国は中国だったという見方もできる。1609年に薩摩によって侵略を受け、以後は薩摩藩に服属。明治になってから日本国に併合されるに至った。

日本そのものもそうだが、文化面において琉球王国が受けた大陸からの影響は大きい。

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