城攻め:沼田城

続日本100名城、11城/100城目。

コロナ禍で日本100名城巡りが残り10城でストップしたままになっているが、少し感染拡大が落ち着いてきたという状況を鑑みて、続日本100名城めぐりを再開したい。日本100名城も、おいおいね。

今回は平日水曜日を休みにする、週休3日制を導入したらどうなるかの実験を兼ねて、群馬県沼田市にある沼田城へ。

まず沼田城を語る前に、ここで勝手に講釈を垂れたいのだが、江戸期において、藩の政務の中心地であった藩庁が置かれていた城は、その経緯から、現在は主に以下のような形態を取っていることが大半である。

  1. 遺構や天守が現存している(あるいはその一部が復元・復興されている)
  2. 県庁や市役所、公立学校などの公共施設が設置されている
  3. 公園として綺麗に整備されている
  4. 遺構を含め、ほぼ何も残っていない

これは統計データに基づくものではなく、あくまで私が訪問した結果から述べているだけなので、もっと違った見方もできるかもしれないが、だいたいこんな感じなのだ。

んで、これらはそれぞれ別というわけではなく、組み合わせ技の場合もある。例えば、一部の遺構を残しつつ、かつての曲輪に庁舎や学校が設置されていながら、公園として整備されているケースなど。なお公園・学校・動物園・遺構(一部新しく作っちゃった遺構風モチーフ)と盛りだくさんなのが、穴城として名高い小諸城だったりする。

一般に「城」と認識されるのは1のケースで、この代表格は姫路城。2のケースはたくさんがあるが、1と2を含めると有名どころでは松江城。3については1との組み合わせでイメージしやすいのは大阪城。皇居を公園と呼んではいけないが、江戸城もこれに近い。あと4のケースは意外と少ない気がする。かつての政務の中心地は、交通の要所であることが多く、利便性が損なわれていないなどの理由もあって、今も人が住み続けている。

沼田城に話を戻せば、藩庁があったところでもあるのだが、廃藩置県によって城が民間に払い下げられるなどして荒れ果てた上で、荒れ果てたその姿に心を痛めた地元の有志が、いわば私財を投げ打って保存に努めた城である。地元の有志が〜というケースもめっちゃ多く、このパターンで現存天守が維持されたのが備中松山城、公園として整備される方向になったのがこの沼田城である。大体有志や名士が買い取って、地元に寄贈するパターンが多い。

公園として整備された城は、その経緯から遺構全体の保存よりも、近隣住民の憩いの場としての公園化の方向性になることもあって、遺構は削られたり埋められたりして減っていくケースも多く、沼田城は多分こっち側なんだと思う。

そう、公園としては美しいし居心地が良いのだが、遺構については少し残念なのだ。これは良い悪いの話ではなく、何を選んできたかの話。

なので沼田城の見所は、残された僅かな遺構はもちろんなのだが、利根川流域の山間部に築かれた城だという、縄張面にあると思う。山を登るかのように本丸を目掛けて進むたびに徐々に高くなっていく点や、利根川支流の薄根川を背景とした後堅固な点などから、この地に城を築いた理由というものが実感できる城。

また、かつては本丸(一般には隅櫓が設置される位置)に、五層天守があったとのこと。関東で五層の天守を持っていたのは、この沼田城だけである。別に弘前城のように隅櫓を天守化しても問題ないし、ほぼ天守と呼べる櫓の存在は大規模な城郭あるあるなのだが、このパターンでは防衛面におけるメリットがいまいちわからない。威容を誇ることで政治権力を誇示する意味合い以外に、メリットあるのかな。

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