城攻め:飫肥城

飫肥城は言わずもがな、島津氏と長い期間争い合っていた伊東氏の居城である。

一度は島津氏に追放された伊東氏だが、豊臣時代に復権している。島津氏への抑えとして置かれ続けたのであろうことは、容易に想像できる。いや調べていないので真相はわからないけども。

城としての特徴は、飫肥石と呼ばれる硬くて加工しやすい石が石垣に用いられていることだ。

飫肥石は通常石垣に用いられる石とは異なり、溶結凝灰岩である。溶結凝灰岩は軽石などの白い岩片がレンズ状に引き伸ばされているのが特徴とのことで、石垣をよくみてみると、白っぽい点々がいくつかみられる。

山に城を配し、河川で囲われたような平地に武家屋敷が立ち並ぶ構えは、戦果と自然災害を逃れている飫肥の街に、いまもなお残されている。いわゆる古い街並みであり、小京都だ。素人目に見ても、至極築城するのに適した土地で、当時はなお美しかったことであろう。

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