城攻め:飫肥城

飫肥城は言わずもがな、島津氏と長い期間争い合っていた伊東氏の居城である。

一度は島津氏に追放された伊東氏だが、豊臣時代に復権している。島津氏への抑えとして置かれ続けたのであろうことは、容易に想像できる。いや調べていないので真相はわからないけども。

城としての特徴は、飫肥石と呼ばれる硬くて加工しやすい石が石垣に用いられていることだ。

飫肥石は通常石垣に用いられる石とは異なり、溶結凝灰岩である。溶結凝灰岩は軽石などの白い岩片がレンズ状に引き伸ばされているのが特徴とのことで、石垣をよくみてみると、白っぽい点々がいくつかみられる。

山に城を配し、河川で囲われたような平地に武家屋敷が立ち並ぶ構えは、戦果と自然災害を逃れている飫肥の街に、いまもなお残されている。いわゆる古い街並みであり、小京都だ。素人目に見ても、至極築城するのに適した土地で、当時はなお美しかったことであろう。

映画「アド・アストラ」を観た

そう遠くない未来、地球外生命体の探索のために冥王星に飛び立ち、そして消息を絶った父を、その息子が人類の存亡をかけた危機の回避と、父を探すという二つの目的のために、これまた宇宙に飛び立つというストーリー。

説明が冗長になったが原因不明の大規模なサージにより、人類が危機に瀕しており、その原因がお父さんなんじゃないの?だから息子くんメッセージ送ってやめさせたげてよという話。ちなみに父がトミー・リー・ジョーンズで息子はブラピだ。

トミー=宇宙人という発想はきっと日本人にしかできないが、彼は本作では限りなく宇宙人に近い地球人を演じている。

で、ストーリーそのものは別段面白いものでもない。また、例の如く唐突に現れる凶暴化した宇宙猿や、初代ガンダムの大気圏突入シーンを彷彿とさせるブラピの宇宙遊泳シーンやら、とんでもシーンが多くてその辺りは笑いどころでもある。

一方で、実に秀逸だなと思った点は、静かなる宇宙、孤独なる宇宙、そして孤独なる我ら地球人をしっかりと描写している点である。主人公の心の平静とも共通するような、少し悲しささえ感じさせる宇宙の静けさの表現が実にうまい。だからストーリーそのものがありきたりであっても、最後まで飽きずに観れてしまうのだ。

なお、リブ・タイラーも出演している。もはや日本人にとって往年のスター枠にも入る3人の出演で、結構な豪華さを感じる。リブ・タイラーは年老いても全く変わらず美人である。父親譲りで口がデカくて良い。

映画「いつかの君にもわかること」を観た

早く家に帰って、大切な家族のとの時間を、もっと大事にしよう。一言で言えば、そんなふうに思える映画。

ストーリーは至ってシンプル。余命宣告をされたシングルファザーが、自分がこの世からいなくなった後のことを考えて、4歳の息子の里親探しをするという話。

実にシンプルなストーリーだけれども、その誰しもが主人公と自らの人生を重ねて観てしまう。それはきっと子供がいるとか、いないとかに限らないだろう。

死は誰しもに訪れるものだから、その普遍的なテーマが、私たち観るものに深い印象を残す。そして人生とは何か、死ぬということは何かと考えさせられるのだ。

最後まで描ききらないのもいい。とても深いテーマに対して、真摯に、丁寧に向き合っていて、あらゆる描写に製作者側の配慮を感じる。

こういう映画を、良作というのだろう。その感覚は、きっと、間違いない。

映画「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」を観た

現時点でワールドワイドでの興行収入1000億円を超えた本作、どんなものなのかなと思い、観てきた。おひとり様ではなく、子供を連れての映画鑑賞であり、吹き替え版を鑑賞。

結論としては、ストーリー軽視、表現力最重視の作品で、ストーリー重視な映画が好きな私としてはなんとも言えない印象が残ったが、映像作品としては実際にゲームをやっているかのような映像の作り方が、とても印象に残った。わかりやすく、観客を置き去りにせず、丁寧に作り込まれていると思う。だから子供向けとして良い。

ファミコン世代としては、そもそもスーパーマリオブラザーズがどんなストーリーか、あるいはマリオが登場する様々なゲームをもちろん把握しているわけだが、そのストーリーやらゲーム性ともやんわりと整合をとりながら丁寧に作られていて、音楽面も含めてすごいなー、という観かたをしてしまった。前知識がそこそこある分だけ、純粋に映画として楽しめていないのかもしれない。

売れている映画が面白いとは限らないってのは、アバター他が証明してると思うが(アバターファンの方すみません)、マリオというキャラクターそしてゲームの魅力が、世界中でこれほどに興行収入の面を牽引してるのって本当にすごいことで、私としても純粋に任天堂の大成功が喜ばしい限りです。本当、すごい会社だよね。

子供は純粋に楽しんでいたし、なによりキャラクターは全部かわいくて魅力的だったので、その点は良かったかな。映画として良いとか悪いとかではなく、観る人によって賛否両論あるのはどの映画でも同じだが、本作はより顕著にそれが現れてるのではないだろうか。

任天堂様、この勢いで、ぜひゼルダの映画化を…

退職エントリって守秘義務ガン無視だけどいいのかな?という意見

退職エントリってあるじゃあないですか。会社を退職した方が、オフィスビルを見上げる形で記念撮影したうえで、これまでの自身の役割に伴う仕事の振り返りやら、今後の身の振り方やらを書く、あれ。

あれの内容次第だけど、どのような業務を担っていたかとか、どんな社風だったかとかが感謝の言葉を散りばめつつ書かれているわけだけど、一般に守秘義務は、その当人の雇用の終了とともに終わるものにはなっていないはずなのです。

なのでどこまで書けるものなのかについては、細心の注意が必要だと思うのですよね。

結構業務プロセスやら、過去に対応したプロジェクトらへんを事細かに書いているケースもあって、それらは概ねソーシャルエンジニアリングの材料として、存分に活用できる内容だったりする。例えば関係者を装うなんてことが、十分に可能となる材料を提供してしまってるわけですよ。いいのかな?と。

なので今後退職エントリを書く人に言いたいこととしては、これまでの振り返りの中で、業務を具体的にイメージできるような内容まで書いちゃダメですよ!と。

それ書かないと退職エントリにならないというのなら、未来のことを中心に書いたらよろしい。

FF2ピクセルリマスター版をクリアした

Nintendo Switch版が出たので、やってみた。これまでもスマホ版を持っていたのだが、操作性があまりにも悪すぎてクリアに至らなかったのだ。

FF2はファミコン版をクリアしているので、基本的なストーリーは覚えていた。リアルタイムな当時には、与一の弓から那須与一を覚えたし、源氏装備から源頼朝を覚えたはずだ。

以下ネタバレである。

FF2はストーリー展開とキャラクターが好きだったが、今やってみるとかなり色濃くスターウォーズの影響を受けていることがわかったし、ラスボスたるパラメキア皇帝の最後のセリフが「ウボァー」だったということもわかった。

まず極論だが、帝国と反乱軍な時点でスターウォーズである。大戦艦はデススターだろう。敵のボスは皇帝。皇帝側につくレオンハルトは、ダークサイドに落ちたダースベイダーそのもので、皇帝の座を狙っている存在でもあった。

ストーリー全体は明るい話ではなく、どちらかといえば仲間の大半が死ぬという鬱展開だが、当時はそんなゲームはなかったと思う。成長システムもユニークだったし、FFシリーズ全体を通しても異色作なのは間違いない。

なお、ウボァーのシーンのスクショを撮り忘れたことにだけ、後悔している。

さようなら、銀河鉄道999

松本零士さんがご逝去されたとの報を受けて、個人的な思いなど。

私の幼少期の記憶を辿ってみれば、この人生において、一番最初に好きになったアニメは、銀河鉄道999だった。

古めかしい蒸気機関車の線路は空へと伸びており、その先はくるっと丸まりながら途絶えている。線路の端までくると、999は、空を飛ぶ。そして、999は、星から星へと、宇宙空間の見えない線路を走行する。

その描写に茫漠とした、とても強い、宇宙への憧れを私は感じていた。

汽車という乗り物と、果てしない宇宙への旅。その当時、私は幼すぎて、内容については正確には理解できていなかったかもしれないが、それでも宇宙に思いを馳せるには十分だった。

機械の身体、永遠の命を手に入れるために、未知の星々を旅する星野鉄郎の生きる姿は、今もこうして旅を続けている私の原点だったといっても、過言はない。男気と勇気と優しさに溢れた鉄郎は、やはり私にとっての憧れの姿だったと思うし、今も彼のように生きたいとさえ思う。

大きくなって読み返してみても、いまだに面白さを感じる。特に、四畳半惑星のノスタルジーがたまらない。

「遠く時の輪の接する処で、また巡り会える」

そうなのかもしれない。

松本零士さん、良い作品をありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

自由であって然るべきなんだ

良い年して変なことを言いたくなるもんですが、自分の人生とやらを振り返ってみれば、結局パンクロックというものとは切り離せないもので、なんだかんだパンクロックでしかないなと思うんですよ。パンクでもあり、ロックなんですよ。

そもそもパンクロックってなんだという話なんですが、私の恩師たるカート・コバーン師はこう言いました。

「パンク・ロックの意味するものは、自由であって然るべきなんだ。自分の好みのものを片っ端から好きになって、受け入れる。何でも好きなものを、好きなだけ下手に演奏する。いいもので、情熱が感じられればそれでいいのさ。」

自由。これに尽きるわけですよ。

じゃあ自由ってなんだといえば、それは人それぞれですね。

私の場合の自由とは、誰からの指示も命令も受けず、自らの意思を持って、自らが行いたいことを実現する。これに尽きるわけですが、今それが十二分に実現できているので、20年前の自分から考えてみれば奇跡的だなとも思うし、自分が望んだ通りになっているなとも思う。たぶん人生とは、自ら望んだ方向にしか進まないのだ。

男子たるもの、ずっと厨二病の延長線みたいなものでしょうね。だから、未だ精神的に成長しているとも思ってないんですが、それでもなお日々学び続け、実践し続けた結果として今の自分がいて、もはや「呉の阿蒙」ではないなと思うんですが、それでもなお数年後からみれば、やはり厨二病だなとか思えるわけですよ。

何が言いたいかと言えば、やりたいことをやるべきです。誰しも自らの夢を叶える権利があるわけです。その上で、機会をモノにする必要があるんです。

幸運とは、機会を機会と的確に捉えられる能力ですよ。決して機会を逃さないように、がんばりましょう。

城攻め:唐津城

続日本100名城の旅18/100城目。福岡に仕事に行くついでに。

知らなかったんだが、福岡を中心に西鉄バス網がかなり充実しており、唐津には電車で行くよりも、天神のバスターミナルから高速バス「からつ号」で向かった方が楽だった。ゆえに往復ともにバス移動。

唐津城自体は模擬天守であり、そのものに対しては何の感慨深さもないのだが、資料館としては見る価値のあるものも多いし、何より天守(模擬)から唐津湾の眺めがとても美しい。これまた後で知ったことだが、日本景観100選にも選出されているとのことだった。眺めていて本当に飽きがこない景色。

穏やかでとても静かな海は、潮騒という言葉ではなく、凪とでも言うべきだろうか。城の周囲の砂浜も大変静かで、あまりの静かさにキーンという音が聞こえてくる様な、とても落ち着く場所だった。

唐津の町も、良い。唐津には有名な「唐津くんち」があるし、唐津焼もあり、博多からのアクセスもよい。街自体は古い町並みだが、それらの文化、アクセスの良さが、今もなお街を廃れさせない要素として、活きているのだろう。とかく大きな祭りを行うことは、街を活性化するために必要なことなのかも知れない。

城は模擬天守だが、平山城ながら海に面していて、海城とも言える。縄張り・遺構が複数残る。あとは斜めに登るエレベーターがユニーク。景色の良いところなので、気分転換をしたい方には是非オススメしたい城だった。模擬天守だけど。

noodlesワンマンライブ@下北沢Que

2022.12.11、下北沢のQueで行われたnoodlesのワンマンライブに行ってきた。Queで行われたnoodlesのワンマンには、少し前にも行った覚えがあるけれど、あれはいつのことだったろうか。まだドラムがAyumiさんだった頃だ。

今となってはnoodlesというバンドも、オリジナルメンバーはYokoさん、Ikunoさんだけになっている。以前はちゃん付けが妥当に思えたメンバー名も、もはや「ちゃん」と呼ぶのには色んな意味で厳しいものがあり、敬称として「さん」と書いているが、これはこれで違和感がある。気にしないでおこう。

長年聴いてきたという背景もあって、4人の頃の「ヌードルス」と比較してしまう。かつて私も3ピースのバンドというものをやっていたが、ギターが2本か1本かで当然ながら音圧も違うし、表現できる内容も異なってくるが、1本の場合はその1本の人の音の作り方やら、総じて技術力やらが前面に出てしまうと思う。

そういう意味では、今のnoodlesは、かつてのヌードルスとは別物で、衰えたと言って仕舞えば衰えている。また、ドラムに至っても、Ayumiさんのあのパワフルなドラムが無くなった分だけ、だいぶ寂しいものがある。

そしてYokoち・・Yokoさんの声も、以前に比べればだいぶ声量がなくなったように思えるし、艶感が消えてしまった。

なぜかIkunoさんだけずっと変わっていないように思えるが、どのバンドにも、ベースというポジションの人には、その点で共通する何かがあるような気がしていて、それがベースなんだということで納得感がある。

ここまでみると衰えただのなんだの批判的なことを書いているように見えてしまうが、全くそういうことが言いたいわけではない。

彼女らは、もう何十年もバンドを続けているのだ。普通に歳をとって、歳相応ながらにも今もまだかっこいい音楽を続けているnoodlesは、ずっとかっこいいのだ。聴衆側も年老いていく中で、懐古主義に若干なりながらも、やはり普遍的なかっこよさに惹かれる部分というものがあるからこそ、聴きにくるのであるし、また聴きに行きたいと思うし、安心する部分があるのだ。

だからこれからもずっと活動を続けてほしいなと思っている。聴く側もだいぶ年老いたので、仮に金銭的・経済的なサポートが必要になったとしても、そのあたりは余裕で賄えるんじゃないかとか、うちの会社がスポンサーになってライブとかしてもらえるんだろうかとか、変な邪推すらし始める感じもあるが、バンドをやっていた人ならわかる通り、バンドには、ミュージシャンには当然ながらプライドというものもあるので、これからも、ずっと、ほんの少しだけ遠い存在であり続けるだろうし、あり続けてもらいたいものだなと。

当日の曲について?それはもうメロウメタリカ一択ですね。